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東京地方裁判所 昭和38年(ヨ)3891号 判決 1963年9月05日

債権者 志村聡雄

債務者 国際タクシー株式会社

主文

債務者は債権者に対し金四七一、五一五円ならびに昭和三八年六月一一日から同年九月一〇日までの間毎月一〇日、二〇日および月の末日ごとに金八〇、一〇〇円宛を仮に支払え。

訴訟費用は債務者の負担とする。

事実

(双方の申立)

債権者は主文第一項と同旨の判決を求め、債務者は「債権者の本件申請を却下する。訴訟費用は債権者の負担とする」との判決を求めた。

(債権者の主張)

一、債務者は旅客運送事業を営み、六三年式ニツサンセドリツク普通乗用自動車(登録番号練五あ二四・一三)を自己のため運行の用に供する者である。

二、債権者は昭和三八年四月二六日午前零時五分頃東京都品川区五反田三丁目三三番地大崎橋先道路上において、債務者の従業員である申請外近藤義郎の運転する本件自動車と接触して転倒し、このため右側頭骨線状骨折を含む外硬膜外血腫の重傷を負い、川崎市の関東労災病院に入院して現に治療中である。

三、右の傷害により債権者は脳損傷の程度が甚しく、少くとも昭和三八年一杯は入院治療が必要であり、退院後も左半身の連動障害が残り、生涯廃人に近い生活を送らねばならない見込であつて、このために蒙る損害は後記の治療費のほか、将来の減収による損害および慰謝料合計四〇〇万円を下らない。

四、債権者が入院中に要する治療費は次のとおりである。

(1)  (関東労災病院から既に請求を受けている診療費)

自昭和三八年四月二六日 至同年同月三〇日分一四八、四二九円

〃同年五月一日     〃同年同月一〇日分一三六、〇七九円

〃同年同月一一日    〃同年同月二〇日分一一九、五九六円

〃同年同月二一日    〃同年同月三一日分一一一、二一八円

〃同年六月一日     〃同年同月一〇日分一〇二、一二二円

合計                  六一七、四四四円

(2)  (同、今後の診療費。)

昭和三八年六月一一日より入院継続の予想される同年一二月三一日までの間、一〇日目ごとに、少くとも七万円宛、同病院に診療費の支払いをしなければならないことが確実である。

(3)  (付添家政婦の日当および食費一日分一、〇一〇円。)

入院治療中、その病状から付添家政婦の必要がありこれを昭和三八年五月一〇日から依頼し、一〇日目ごとに右のとおり一〇、一〇〇円宛請求を受けている。

右のうち(1) の内金一四五、九二九円および(3) の昭和三八年六月一〇日までの分は、債権者において他からの借入金で支払い済みであり、結局病院に対する未払金合計は四七一、五一五円であるが、同年六月一一日以降は(2) および(3) の合計額として一〇日目ごとに少くとも八〇、一〇〇円宛の支払いの必要に迫られている。

以上は債権者が本件事故により受けるべき損害に該当するが、債務者は自動車損害賠償保障法にもとづき、本件自動車の保有者として、債権者に対し、その損害賠償義務があり、債権者は債務者に対し東京地方裁判所昭和三八年(ワ)第五一四五号交通事故損害賠償請求事件を以て本案訴訟を提起した。

五、債権者は昭和五年一二月生れの男子で事故の約一〇日前まではガスライター卸売商店に勤務し月収手取り約三万円を得ていたが、事故当時は独立してガスライターの販売に従事しようと計画し、手持の金銭に他からの借入金を加えて中古自動車を買い入れる等して開業の準備中であつた。従つて格別の財産もなく、内縁の妻は債権者の入院中自らの生活を維持するために働きに出ているが、入院費等まで稼ぎ出せる力はない。しかも、他からの借財もこれ以上は期待できない。

結局現状においては債権者は前記入院費、付添家政婦代を支払う能力は皆無である。

六、しかるに、病院に対しこれ以上治療費の支払いを怠るときは、充分な治療を続けて貰えなくなるおそれがあり、ひいては後遺症の程度にまで悪影響を及ぼすことが憂慮され、債権者は取り返しのつかない損害を蒙ることとなる。また付添家政婦に対する支払いを怠れば、翌日から付添を拒絶される実状にあり、そうなつては債権者の入院生活に大きな支障を来すこととなる。

従つて、本件自動車事故につき損害賠償義務のある債務者から、前記入院に要する諸費用の仮支払を受ける必要性は甚だ大きい。

七、債務者の抗弁のうち、本件自動車に構造上の欠陥および機能の障害がなかつた点は争わないが、その余の点は争う。

本件事故現場附近は、日中は自動車の往来が頻繁であるが、夜半となれば自動車の流れが途切れる方が多く、歩行者の横断が頻繁となる実状である。そのうえ、交通信号のある横断歩道までは一〇〇メートル以上もあり、夜半になつてまで横断禁止を強調する理由は乏しい。

また、事故現場の状況から見て近藤運転手は、債務者の主張する進行方向とは逆に、五反田駅ガードの方面から大崎橋方面に向つて南進していたもので、その速度も五〇粁時に達していたものと推測される。債権者はガードに向つて左側の歩道から右側に向つて道路を横断すべく、ガード方面に向う一団の自動車群が走り去つた後から道路を半分横切り、中央線上でガード方面から来る自動車群の通り過ぎるのを待つている際、ガード方面から道路中央線寄りを疾走して来た本件自動車にはねられたものである。従つて、債権者としてはかような場合の通常の道路横断者が払うべき注意を怠らなかつたのに反し、近藤運転手は道路中央線上に立止つている債権者を約五〇メートル先に発見しながら、ハンドルを左に切るとか、停車措置をとるとかの手段を講ずることなく、そのままの速度で疾走した過失のため、本件事故が発生したものである。

(債務者の答弁および抗弁)

一、債権者の主張事実中一、二の点は認めるが、その余の点は争う。

二、債務者は本件自動車事故につき損害賠償義務がない。

(1)  近藤運転手には過失はない。即ち、同人は本件現場附近を大崎橋を経て、国電五反田駅に向い、先行車の混雑を見て、時速一五キロメートル以下に減速して本件自動車を進行させて来たところ、中央線右側の反対方向から走行して来る多数の自動車の間隙を縫うようにしていきなり約三メートル斜め右前方に債権者が駈足で飛び出し、車の直前を走り抜けようとしたため、同運転手は直ちにブレーキペダルを更に深く踏みこんで停車したが間に合わず前述のとおり自動車の右側運転席扉前部で債権者と接触してこれを転倒させたのである。このとき本件自動車は左側に並進車があつたため、ハンドルを左に切つて避譲することは不可能であつた状況であり、本件事故は不可抗力によるものというべきであるから、近藤運転手に過失はない。

(2)  かえつて、債権者の過失によつつ本件事故が発生したものである。

即ち、本件事故現場は横断禁止区域内であり、更には前述のとおり、債権者が突然に本件自動車の直前進路に飛び出したものであり、しかも債権者は事故当時著しく酩酊していたからである。

従つて、本件事故は債権者のみの過失にその原因があり、かつ、近藤運転手は運転歴一九年、タクシー経験一四年半の間無事故の技術優秀者であるから、債務者および運転者には故意、過失がない場合に該当する。

(3)  本件自動車は六三年式の新車で使用開始以来約三四、〇〇〇粁を走行したばかりである。また、債務者は道路運送車両法にもとづく第二級整備工場を併設し、常時所属自動車の整備に努め、法律で要求していない整備までも実施している。毎朝出車に際しての始業点検も整備士が必ず励行している。そのうえ運転手の採用を厳選し、その技術の向上と適正な勤務割を定め、毎朝の出車時には、天候、交通情報の周知のため必ず責任者立会のもとに点呼を実施している。

従つて本件自動車に構造上の欠陥または機能の障害がなく、債務者の運行管理に過失はない。

三、仮に債務者に損害賠償支払義務があるとしても、仮支払を求める本件仮処分の必要性はない。なぜなら権利の終局的実現を仮処分において求めるので必要性は厳格に検討されなければならないからであつて、債権者の兄弟六人中には、会社役員などがいて、相当の経済力ある扶養義務者も多数いるので、債務者に仮支払を求める必要性はない。また、本案訴訟において債権者が敗訴しても、債権者の経済状態からいつて、かえつて仮支払金の回収が全く不能となることが明らかで債務者は本件仮処分によつて回復できない損害を生ずるおそれがあるからである。

(証拠関係)<省略>

理由

一、債権者が昭和三八年四月二六日午前零時五分頃東京都品川区五反田三丁目三三番地先大崎橋先道路上において、債務者が自己のため運行の用に供し申請外近藤義郎の運転する本件自動車と接触して転倒し、右側頭骨線状骨折を含む外硬膜外血腫の重傷を負つたことは、当事者間に争いがない。

二、自動車損害賠償保障法によれば、かかる場合、債務者は原則として右事故による損害賠償の義務を負い、ただ、債務者において、(1) 自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、(2) 被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと、(3) 自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたこと、の三点すべてについて立証を果したときは、右の責任を免れることができるものと解するのが相当である。

しかして、右(3) の点については債権者もこれを争わないところであり、また(2) の点については、被害者である債権者が歩行者の横断禁止区域を横断していたことは当事者間に争いがなく証人山口嘉之、同溝越将城の各証言によれば本件事故当時債権者が相当程度酩酊していたことが認められ、結局債権者にも過失のあつたことが認められるけれども、(1) のうち近道運転手に運転上の過失がなかつたことについては、本件に顕われた全証拠によつても債務者の立証が果されたものとは認め難い。

従つて、本件の疎明資料に関する限り、債務者は本件事故により債権者の蒙るべき損害につき、賠償の義務がないものと認めることはできない。

三、しかして、証人坂根徳博の証言により真正に成立したものと認められる甲第五、第六号証、第七号証の一ないし四、第八号証、第九号証の一ないし三、第一一号証、第一七号証の一、二によれば、本件事故のため債権者は少くとも、その主張の第五項記載の入院治療費および付添家政婦費と相当額の損害を蒙つていることが疎明される。従つて、債権者は右金額ならびに本件事故に附随して生ずるものと推認されるその他の財産上および精神上の損害のうち債権者の前示過失を斟酌したとしても、少くとも右金額については、債務者に対し損害賠償請求権を有するものであるといわなければならない。

四、そこで本件仮処分申請の必要性について検討するに、成立に争いのない甲第一〇号証、証人坂根徳博の証言により真正に成立したものと認められる甲第一二、第一三号証と証人志村末子、同奥田敏子の各証言によれば、債権者は昭和五年一二月二五日生れの男子で、本件事故の約一〇日前まではガスライターの卸売店に勤務し月収約三万円を得ていたが、その後独立してガスライターの販売に従事しようと計画し、その開業準備のため手持の金額を投入し、他からも借金する状態であつたため、格別の蓄積も収入もなく社会保険にも未加入の状態であり、共稼ぎをしている内妻の収入も一カ月三万円程度で生活費のほか病院の雑費を支払うのに不自由する程度であるし、親代りとなつている兄志村逸作の支払い能力にも限度があつて同人に入院治療費等の全額の立替払いを期待することも困難な状態にあることが疎明される。

しかして、債権者が入院中の病院において引続き適当な治療を受け得るためには、他に格別の事情のない限り、入院治療費および付添家政婦の費用をその請求を受ける都度確実に支払つていくことが必要不可欠であることはもとよりであるが、債権者の前認定の支払い能力に照らすと、右の支払いは不可能であり結局本件事故につき損害賠償義務のある債務者に対し仮処分によつてその仮支払いを求める必要性の大きいことが疎明される。

五、債務者は、金員仮支払を求める仮処分の必要性について特に厳格であるべきことを主張するが、前説示の事情でその必要性は充分疎明されるので債務者のこの点の主張は採用できない。

また、本案訴訟において債権者の敗訴する結果になつたとしても、債権者から仮支払金の回収が困難となるおそれのあることは前示疎明事実から、うかがえないではないが、このことから直ちに本件仮処分の必要性を否定することはできない。なぜなら、この点にこそ、かえつて著しい急迫な損害を避けて仮の地位を定めるべき必要性が生ずるのである。

六、よつて債権者の本件仮処分申請を相当として、これを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中良二 友納治夫 秋元隆男)

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